「購買の動機付け」、「消費を喚起」、この類の言葉が乱舞する経済誌など読んでいると、時折胸が悪くなってくることがある。
いかにももっともらしい単語を組み合わせているが、ひらたく言えば『洗脳』じゃないか。
モノが溢れている時代、更にモノを買わせようと大量生産、大量消費のサイクルに人々を陥れる『洗脳』のテクニックが上達することにどれほどの価値があるのか。
と、変な妄想に取り付かれてしまうところが「できないビジネスマン」たる所以かも。(-。-;)
さて、そんな胸焼けの時の一服の清涼剤が今回ご紹介する本、「美しいもの」だ。
「大量生産、大量消費」に上っ面だけ反省しつつも、やっぱり「大量生産、大量消費」に突っ走ってしまう現代の風潮に背を向けて(ってゆーか関心がない?)、うつわや服などのモノづくりに時間と人生を惜しみなく費やしている12人を、本著は紹介してくれる。
その中のひとり、木地師の仁城義勝氏は、以前神奈川県のとあるギャラリーでお目にかかり、ものづくりの「心」を直接伺ったことがある。
仁城氏は、うつわをつくるための樹木を切り倒したときの、その樹木の悲しみを手で木に触れることで「聴く」という。
悲しみを知るからこそ、その木を余すところなく使う。
最後の最後に残る鉋屑なども発酵させて畑の堆肥とするそうだ。
「七人の侍」の勘兵衛の言葉『この飯、疎かには喰わぬぞ』の心意気だ。
悲しみを秘めた木からできたうつわなのだから、使い手には大切に使ってほしい。
多少の破損は補修しながら長く長く使って欲しい。
そんな意味のことを仁城氏は訥々と語る。
この人、大量消費時代のマーケターにとってみたら悪魔みないな存在だな。(-。-;)
時計の針を戻すことなどできない。
私自身、大量消費を上っ面だけ反省している手合いの一人だ。(-。-;)
今更、モノがない時代になど戻れない。
しかし、仁城氏のうつわに手を触れ、残念ながら私には木の悲しみは聞こえないけれど、つくることとつかうこと(生産と消費)の本質を忘れないようにしたい。
美しいもの
